硫黄島は、そもそも無人島であったものが、明治時代に硫黄採掘のために人が住むようになり、終戦直後には千人を超す町が形成されるまでに至りました。まあ、その頃には商品作物の栽培が主な産業となり、硫黄採掘はごく小規模なものであったようです。
昭和20年にはアメリカ軍が上陸し、地形が一変するほどの爆撃とその後の戦闘により、直径わずか数キロメートルにも満たない島で双方合わせて二万人以上が亡くなられたそうです。戦後米軍に接収され、その後日本に返還されてからは自衛隊のみが駐留し、一般の住民は全く住んでいません。
硫黄の採掘跡は、現在でも純白の地面からもうもうと白煙が上がっており、いわゆる「ナントカ地獄」の様相を呈しています。
その脇にはコンクリート製の残骸が転がっていますが、それが採掘跡なのか、戦争時の残骸なのか判別することはできませんでした。ただ、その残骸の近くにガジュマルが群生しており、かつてそこに集落が存在したことを物語っています。純白の地面に降り注ぐ灼熱の太陽と鼻を突く白煙の地獄から大きなガジュマルの樹の下に入ると、スッと爽やかな風が吹き、大変穏やかな気分になります。
硫黄島についてはまだまだ書きたいことがあるので、後日ゆっくりと HTML
でまとめようかと考えています。
八幡鉱山は、戦前の東北鉱山のバイブルである「東北鉱山風土記」に記述が無いことから、昭和18年以降開発されたものと思われます。戦後の資料には必ず現れるのですが、その名称と地名との間に関連がないため、最近までその場所を特定することができませんでした。しかし最近、宮城県史にその記述を見つけたので早速現地に行ってみました。
15%以上もあろうかという細く急峻な山道をしばらく登ると、突然目の前に翡翠色の沼が現れます。八幡鉱山は、この湖底に沈殿した硫黄を採掘していたのです。現在は、観光客相手の食堂が一軒水辺にあるのみで、鉱山稼行時の面影は全くありません。
世界でも希な強酸性の沼であるという案内板がありますが、硫黄を採掘していたという説明は全くありません。
湖水を覗くと、上層10cm程度の上澄みは澄んでいますが、その下には確かに硫黄と思われる黄色っぽい物体が渦巻いており、不気味な様相を呈しています。湖岸付近の一部から蒸気が噴出しており、小さな「地獄」を形成しています。その周辺が平らな荒れ地となっており、わずかに瓦礫が散乱していることから、この付近に鉱山の関連施設があったと思われます。
鉱山跡としては特に見るべきものはありませんが、特異な性質を持つ美しい沼としても、一見の価値があります。この小さく静かな沼が東北有数の硫黄鉱山として盛んに掘り返されていた姿を想像すると、なんとも不思議な気がします。
以下に、昭和43年版宮城県史の記述を写しておきます。
八幡硫黄鉱山は鳴子火山の頂上にある潟沼火口湖に沈殿した沈泥状の沈殿硫黄を水中から採取精練しているが、同鉱山の硫黄生産高は東北第五位を占めている。潟沼周辺には火山性 蒸気が所々に噴出しているが、八幡鉱山ではボーリングを行つて、硫黄の蒸気乾燥に利用したことがある。現在もなお、湖底から温泉やガスの湧出がみられるが、これに伴つて、硫黄の沈殿がわずかずつ行われている。
鉱床は湖底の上層と下層の二層に分布しているが、上層は永年の採掘のために、稼行に価する鉱量が少なくなり、また下層の採掘は水位を低下させぬかぎり、技術的に困難な状態になつている。一方、湖の水位低下や蒸気利用のための本格的のボーリングを行つた場合には、鳴子温泉の源泉に影響を及ぼすおそれがあるなどの声もあつて、今後の潟沼の硫黄採掘には、いろいろな未解決な難問題が横たわつている。
会社名 :鳴子硫黄
鉱山名 :八幡
総埋蔵量:2,792,000t
推定量 :1,304,000t
含有品位:S 30%
宮城縣史9(産業)I, 宮城県, 昭和43年