足尾銅山の歴史
日本一の銅産出を誇った足尾銅山。その歴史は「鉱山近代化」の光と「労働問題・鉱毒問題」の陰とにいろどられている。
夏目漱石が小説「坑夫」で描いた足尾はまさにその光と陰が交錯する部分だったのだろう。悲惨な鉱山労働の実態が窺い知れる秀作である。
ここに掲げた写真は、足尾銅山が操業していた時期のものである。すさまじく吹き上げる煙、荒廃した山容。
さらに製錬所から流れる鉱毒による、沿岸住民への被害。これらを企業悪として正視しなければならないのは当然である。
しかし私たちが車や電気製品を使って快適な生活を営んでいる陰に、まさに地の底から支えている「産業」があったことを忘れてはならないだろう。
■足尾銅山関連年表
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西暦年
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足尾銅山に関する出来事
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備考
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| 1610 |
足尾銅山開山 |
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| 1877 |
古河が足尾銅山の経営に乗り出す |
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| 1884 |
足尾銅山の銅生産量が日本一に |
アフリカ・トランスバールで金鉱脈が見つかった |
| 1890 |
渡良瀬川大洪水で鉱毒被害甚大 |
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| 1896 |
通洞が貫通、名実とも近代鉱山となる |
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| 1905 |
古河鉱業と改称 |
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| 1912 |
足尾鉄道(桐生〜足尾)開通 |
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| 1934 |
沈殿池が溢れ渡良瀬川沿岸で鉱毒被害発生 |
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| 1944 |
足尾銅山が軍需会社に指定される |
1941〜1945 第二次世界大戦 |
| 1956 |
自溶製錬設備が完成し、亜硫酸ガスの排出が減少 |
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| 1961 |
銅・鉛・亜鉛の貿易自由化決定 |
これ以降、国内鉱山はしだいに経営難に追い込まれる |
| 1973 |
足尾銅山閉山(採掘中止)、製錬事業は継続 |
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| 1976 |
草木ダム竣工 |
荒廃した自然を回復させる試みが本格的になった |
| 1980 |
銅山観光オープン |
トロッコ列車で通洞に入り、坑内は徒歩で見学する |
| 1996 |
ボランティア植林がはじまる |
21世紀の緑を信じて |
■田中正造について
田中正造(1841−1913)は、足尾鉱毒事件において急先鋒として「企業悪」と真っ向から対決し、「鉱毒事件」を被害農民の側に立って厳しく追求した衆議院議員である。彼の激しい情熱と怒りが、今日の公害訴訟の源になっていることは言うまでもない。
写真は、1901年に田中が「おねがいがございます!」と叫びながら天皇に手渡したという「直訴状」である。
■21世紀の緑を信じて
荒れ果てた自然は、営々とした努力で少しづつ美しさを取り戻してきています。
「足尾銅山の歴史」という暗いページから、元のページに戻ったとき、あなたは本当の自然の大切さを知っていることでしょう。
<参考文献>
東海林吉郎・菅井益郎著「通史・足尾鉱毒事件」(新曜社)
ケネス・ストロング著/川端康成 佐野正信訳「田中正造伝」(昌文社)
林えいだい著「望郷−鉱毒は消えず」(亜紀書房)
朝日新聞前橋支局編「鉱毒と闘う」(あさを社)
*一部の写真は上記書より転載させていただきました。*
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