12月19日にY2Kシミュレーションを実施し、日付表示などの問題を検出しましたので、改良版のプログラムをアップロードしました。
2000年問題対応プログラム動作確認です。
南アルプス金鉱探査センターのホームページに、
金探査の関連書籍の紹介を執筆中です。
よい本があったら、お知らせください。
詳しい情報は、http://www.kt.rim.or.jp/~sodom/akaisi.htm ご覧ください。
郷土見直しへ鉱山跡を探検/島根県津和野町
'99/11/18
約七百年間、銅を採掘し、一九四九(昭和二十四)年に閉鉱になった島根県鹿足郡
津和野町、笹ヶ谷鉱山跡を十七日、鹿足郡の小学校長たち十人が探検した。腰をかが
めてやっと通れる坑道の先にある、直径四メートル、深さ百十メートルもの縦坑を見
て驚いていた。
校長会の郷土学習の一環。津和野町北部の砥石(といし)山(四八一メートル)に
残る「七番坑」跡に、鉱山の測量係だった同町内美、農業斎藤嘉人さん(72)の案内で
入った。この坑道は昭和の初めから掘り始められ全長約二キロ。トロッコのレールや
枕(まくら)木が残っていた。
縦坑があるのは、七番坑入り口から五百メートル入った、広さ三十メートル四方、
高さ四十メートルのドームの地面中央。透き通った地下水がたまり、その中に当時の
マツの木枠が腐らず残っていた。
十三世紀後半に開かれた笹ヶ谷鉱山は、江戸時代、幕府の領地として栄え、産出さ
れた銅を盛んに海外に輸出していた。その一方、銅を精錬する際に出たヒ素による土
壌汚染や中毒が社会問題になった。
最近、郷土の歴史を浮かび上がらせ、後世に残そうという機運が、鉱山ふもとの自
治会などで起こり、「鉱山資料館」を造る話などが浮上。斎藤さんたちが資料を集め
ている。
洗川光広・日原小学校長は「笹ヶ谷の話を聞いたことはあるが、実際に入ってみて
スケールの大きさに圧倒された」と話していた。
【写真説明】笹ヶ谷鉱山跡の坑道を見て回る小学校長たち
中国新聞の記事です。
レールが残っているんですね・・開放されたら見に行きたいものです。
写真もコピーしてあります。
詳しい情報は、http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn99111838.html ご覧ください。
今回初めて投稿する北海道の白濱です。
普段は炭鉱跡をほぼ専門に訪ね歩いているのですが、先日(10/30)下川鉱山を訪ねてきたので、現状を簡単に報告します。
事務所に一言断れば、敷地内を見学させてもらうことが出来ます。
鉱業所には、週末でも3〜4人の社員が出勤して作業をしていますが、現在の業務は坑内排水の処理が中心と思われます。
地形図(2万5千分1「新下川」)に記入されている長方形の沈殿池と3つのシックナーは全て現役で、鉄錆色の坑内排水の浄化に使われています。
また、道々を挟んで反対側の通洞坑口から延びている輸車路やベルトコンベアも原型を留めています。
地形図に載っているL字型の建物は磨鉱工場で、シャッターのドアから内部が見えましたが、大型のボールミル等の設備がほぼそのままの状態で残っている様です。
この磨鉱工場の裏手(山側)の建物内には砕鉱機(コーンクラッシャー)が据えられており、閉山した際に抜き取られたのか、床の上に巨大な独楽の様な形の部品が転がっていました。
私は、鉱山や炭鉱の技術や風景そのものに関心があるのですが、地質学・鉱物学方面には暗く、下川鉱山周辺の鉱物については何も書くことが出来ません。
今後も、炭鉱跡と並行して金属鉱山も歩いて行くつもりなので、機会があればまた投稿させていただきたいと思っています。
仙台藩の金山下代(鉱山経営者)松坂氏が藩に提出した勤功書上に「当家は伊勢松坂の
武士で、代々室町幕府に使えていたが、当主松坂新次郎は足利将軍義輝公が永禄8年に
暗殺された時討ち死にし、残党は公方(ここでは足利将軍家)様御金山所気仙郡竹駒村
玉山へまかり下り、のちに伊達氏に仕えるようになった」とあります。
(宮城県史9産業編所収)
戦国時代の鉱山についての資料が少ないのは知られておりますが、後世の編纂記事
とはいえ、室町幕府経営の金山が東北にあったというのは面白いと思いました。
ご参考まで。
伊達政宗さんは金属博物館に関係ある殿様なのでちょっと話題を提供します。
福島県伊達郡は平泉藤原氏の有力な家来信夫佐藤庄司の居住地で、源頼朝の平泉攻め
の時に主戦場になり、軍功のあった伊達家の先祖中村朝宗が伊達郡に領地をえたのが
伊達初代です。戦国時代が終わると本来の領地だった信夫・伊達・山形県長井(米沢
市)を没収され岩出山、仙台に移されましたが、伊達郡の金山には未練があったようで
伊達郡に領土をもらった蒲生・上杉に取られまいと水没させた鉱山の伝説があります。
初めまして、石見銀山を鉱床の面から調査している鳥越と申します。
石見銀山は正確には江戸時代以前の名称であり、鉱山としての名称は大森鉱山となっています。この鉱業権は現在も同和鉱業が持っており、形としては休山ということになっています。また、場所は島根県大田市から邇摩郡仁摩町にかけての一帯です。
現在は世界遺産登録に向けての学術調査が進められており、発掘調査や採掘跡の分布調査、科学調査などがおこなわれつつあります。
石見銀山に関する一般向けの情報で物足りない方は私宛にご連絡下さい。できる限り情報を提供いたします。それでは失礼します。
11月3日「散策列車」 参加者を募ります 神岡鉄道協力会
発行年月日 1999年09月02日
媒体(紙誌) 中日新聞 朝刊
紙面 21
【岐阜県】神岡町の神岡鉄道協力会(牛丸忠久会長)は十一月三日、「秋の散策列車
」を運行する。第三セクター神岡鉄道で、晩秋の飛騨渓谷の景色を楽しむほか、トロッ
コ列車で神岡鉱山内に入坑、東京大学宇宙線研究所のスーパーカミオカンデを見学する
。かつて鉱石などを運んだ線路跡なども散策する。参加者を募集している。
列車は、同鉄道の奥飛騨温泉口駅(神岡町)11時58分発と、猪谷駅(富山県細入
村)14時41分発の二本。いずれも神岡町の茂住駅で下車して、坑内の見学などをす
る。
定員は各駅発とも百人。参加費は千五百円。希望者は、往復はがきに住所、氏名、参
加人数、電話番号、乗車駅(奥飛騨温泉口か猪谷)を記入、十日までに、
〒5061161神岡町船津二二九二、神岡鉄道=電0578(2)1182=へ申し込む。
先着順で締め切る。
石川様
歴舟川中流のあたりは、確か新第三紀の火山岩が貫入しているそうです。
ここらへんから、網走にかけてそうした火山岩がみられるとか。そのため、
これによる黄鉄鉱を含む石英脈などもあるのかもしれません。
砂金の起源は、石喰いがあったり粗粒であることから、こうした石英脈で
なく老脈のだと思います。
高山様
情報ありがとうございました。
先般、歴舟川を歩いてみて、転石には鉱脈母岩に似た、赤ヤ
ケした、なかなか興味深い石がありました。
しかし、地元のひとに聞いても、砂金のことは知っているが
上流に鉱山があったという話はない、というので気になって
いました。日高側、十勝側ともに、長野県の金鶏金山にある
ような、レンズ状の小さな脈があるのかもしれませんね。
ホームページ、拝見いたしました。
私は全国的視野の知識はないのですが、母衣月の玉髄はなつ
かしい気持ちで見ました。その近所には黒鉱もあります。
若干ですが金などの鉱脈もあり、坑道も残っているのです。
金鉱関係だけでなく、高山様のご専門の範囲でもいろいろ
また教えていただくかもしれません。よろしくお願いいたし
ます。
石川様
私が知る限りでは、この上流で起源となるような金鉱脈は知られて
いません。日高側には、幾つか老脈があることが知られており、その
うちの1カ所では肉眼で金が見えるほどの鉱脈があると文献にあり、
私が北海道在住のおり(約10年前)、そこを見つけに行く番組があ
って実際にたどりつけたというのを見ました(詳細は覚えていません)。
枝幸砂金地もそうですが、砂金の多寡とそのもとの鉱脈の多寡はあ
まり関係ないようです。歴舟川の砂金は、大きくて立派なものが多い
ので(関連のHPに私のとったものを載せてあります)、おそらく上
流に点々と存在した老脈からのものではないかと、私は思っています。
詳しい情報は、http://member.nifty.ne.jp/bintagirenosuisyo/ ご覧ください。
【岩見沢】空知支庁は十月中旬、一般から参加を募り炭鉱王国・空知の産業遺産を
めぐる「そらち・炭鉱(やま)の記憶の旅」を開く。全盛期の面影を残す立て坑やズ
リ山を訪れ、元炭鉱マンらの“語り部”から施設の歴史やそこに生きた人びとの暮ら
しを聞こうという初の取り組み。同支庁は「北海道の将来を担う子供たちに特に積極
的に参加してほしい」としている。
同支庁は一九九八年度「炭鉱の記憶調査委員会」を設置。炭鉱関連施設の立て坑、
炭鉱住宅、映画館、駅舎、写真など炭鉱全盛期の姿を伝えるものを地域づくりに生か
そうと調査し、百九十八件をリストアップした。将来的には地域全体を博物館とする
「コミュニティー・ミュージアム」の手法による保存、活用などを目指している。赤
平市では同ミュージアムを目指して市民団体が誕生して、取り組みが始まっている。
「―記憶の旅」は、十月十六、十七の両日に実施。一日目は赤平市にある住友赤平
炭砿立て坑と七百七十七段の階段が設けられているズリ山を訪れ、歌志内市のかもい
岳温泉に一泊。二日目は同市の映画館「上歌砿会館」(悲別ロマン座)、三笠市の北
炭幾春別炭砿と住友奔別炭砿のそれぞれの立て坑などを見学する。
炭鉱関係者が“語り部”として同行する。費用は一人八千円で定員は四十人。同支
庁産炭地振興係は「単に見学するだけでなく、炭鉱で働いていた人に話を聞き、石炭
にさわり、燃やしてみるなど体験型のツアーにしたい」と呼び掛けている。
問い合わせ、申し込みは同係(0126・23・2231内線2177)。
北海道、帯広の南、大樹町を流れる歴舟川は、
昔から砂金が採れるので有名ですが、
その上流に金鉱脈があったという資料が得られません。
かつて鉱山があったとかいうような情報はないでしょうか?
大島様・officer様
アンチモン鉱物の記録ですが、私は勘違いしていたようです。
「昭和運根志」によりますと、続日本紀第1巻に三重県の丹生というところから、
西暦698年に辰砂(硫化水銀)・鶏冠石(硫化砒素)・輝安鉱(硫化アンチモン)
が朝廷に献上されたとあるそうです。
輝安鉱は、原文では白め(めは、金へんに葛と書きます。第2水準にもありませ
んでした)とあります。地質から考えると、おそらく輝安鉱のことでしょう。
なお、愛媛の市ノ川鉱山は、「日本の鉱床総覧」の下巻によると、1630年の
発見で、1736年から稼行されたそうです。
Officer様
気仙沼市のホームページ、拝見いたしました。情報ありがとうござい
ました。
写真がすごいですね。目の保養になりました。
(社)資源・素材学会編(1992)「日本金山誌 第3編 東北」を読むと、
鹿折鉱山では、昭和28〜37年に、千歳ひ〔金ヘンに通〕の旧坑の
延長掘進を行い、更に萬成坑新設、第四坑立入などを実施し、産金し
た旨、記載されています。
本ページでは、鹿折金山は金山整備の後、復活することなく閉山とありましたが、
モンスターゴールド里帰り展の鹿折金山の歴史によると昭和24年に小規模ながら
生産したそうです。鉱夫として働いていた藤村氏の履歴を見ると昭和28〜30年
まで再び鹿折金山で働いたとあるので復活したのは間違いないと思います。
同展の展示によると、鉱業権を放棄して鹿折金山が最終的に閉山されたのが昭和
46年だそうです。操業が停止したのは多分昭和30〜46年の間と推定しますが、
それの記述は同展の記述にはありませんでした。
石川様へ
鹿折金山のモンスターゴールド里帰り展については気仙沼市のホームページに
も載ってました。
http://www.mwnet.or.jp/~kesemoi/monster.htm
高山さまへ
北海道金鉱山史研究、入手できてなによりです。
浅田氏の連絡先、奥付にメールアドレスがあったのですが、さすがに個人の
アドレスをここに書くのはどうかと思っているうちに入手に成功されたようで。
あと、アンチモンの鉱物ですが、細倉鉱山資料館に桜井コレクションの一部が
三菱の好意で展示されており、20cm強くらいの市ノ川産の輝安鉱がありまし
た。
資料名ですが、もしよろしければお時間に余裕がある時にでも投稿して頂けた
ら幸いです。
詳しい情報は、http://www.mwnet.or.jp/~kesemoi/monster.htm ご覧ください。
読売新聞ニュース速報[1999-08-10-12:42]の記事、によれば
以下の通りです。
1904年(明治37)に宮城県気仙沼市の旧鹿折金山から産出し、
現在は茨城県の通産省地質調査所に保存されている大金塊「怪物金」
が95年ぶりに里帰りし、同市内のリアス・アーク美術館で展示され
ている。
怪物金は、重さ362グラムでこぶしほどの大きさ。産出当時の6
分の1に分割されているが、現存する自然金塊ではわが国最大という。
残りは日露戦争の戦費などに使われるなどし、行方不明になっている。
ほかにも発掘時の大金塊を再現した模型や、金山で実際に使われて
いた道具を展示。
平安時代の奥州・藤原文化を支えた気仙沼地方の産金の歴史も紹介し
ている。17日まで。
ほんとに、どうなっちゃうんでしょうね。ここ10年ほど新しい鉱床がどんどん見つかりま
したから(日本でも)、しょうがないのでしょうね。
ランドの金鉱床はそろそろ限界でしょうから、こうした新しい鉱床の寿命次第で金価格が決
まると思っています。新しい火山に伴うものは、案外短いのではと思っています。ただ、原生
代でも、ダム型鉱床とか規模の大きい鉱床も見つかっていますので、ここらへんの評価が難し
いところなんでしょう。
アメリカの株価が下がれば、少しは持ち直すと思うのですが。
石川潤一@南アルプス金鉱探査センターです。
金属鉱業事業団資源情報センターが配信している
「鉱業関連新聞情報 99年 7月 22日」を読むと、
「■ 金の国内建値 23年ぶり1 000円の大台割れ 海外相場安に円高が追打ち 鉄鋼新
聞 4 頁
金の国内建値が23年ぶりに1グラム当たり1 000円の大台を割り込んだ。住友金属
鉱山は21日、金建値を先週末比12円下げの998円にすると発表したもので、大台割れ
は76年9月1日以来となる。金の国際相場は5月に英国が保有金の放出を発表して以来
一段と軟化し始め、ロンドンの金塊相場は1トロイオンス(約31グラム)当たり250〜
60ドルと低迷していた。週明けの国内建値は最近の海外相場安に、先週末からの円高
が加わり、一挙に大台を割った。同社によると海外相場は「コスト面などからみて現
行相場が底」とみている。」
と、困ったことが書かれています。
ほんとうに底値ならよいのですが。
私は、15年後の金山開山を夢見ているのですが、金価格は長期的にはどのように
推移するのでしょう?
「対馬のアンチモン」の件、気になっていました。
<連合軍総司令部・経済安定本部資源調査会訳(1951):日本の鉱物資源>の、
アンチモンの項(p.77〜81)をみても、1925年〜1945年にアンチモンが
生産された23鉱山のなかで、対馬に位置するものはありません。
ただし、それ以前の日露戦争までは各地でアンチモンが生産された模様で、
明確なことは結局わかりません。戦争があると、弾薬関係で、アンチモンの
需要が増加したようです。
某WEB書店に注文していたこの本が届き読みました。北海道在住中に訪ねたことのある
沼の上・手稲・鴻之舞の金山のことが詳しく書いてあり、なかなか興味深かったです。金
山発見にまつわるゴタゴタ、強制労働(鉱山により、ずいぶん待遇が違ったようですが)
、鉱害、あっけない鉱石の枯渇と、やはり鉱山には悲しい話がつきまといます。
そんな廃墟となった鉱山をしのび、ひとかけらでも金銀を含む鉱石をみつけるのが好き
なのですが。
伏屋様
三川鉱山なら、新潟県内にあります。で、どうしてこの鉱山の場所を知りたいのですか?
それと、松浦純様。
テルルがお好きだそうですね。札幌に居た頃、よく手稲鉱山に行きました。また、小別沢
鉱山にも行ったことがあります。私は、観察眼が無くて、テルル鉱物は見つけられませんで
した。
初めまして。
この内容が、適切かどうか・・・
「三件銅山」という銅山が新潟にあるそうなんですが、その場所を探しています。
知っている方いらっしゃいましたらレスお願いします。
では。
大島様
アンチモンは、自然アンチモンとして金属状態で産出することもありますが、日本では
未だ発見されていません。普通は、アンチモンの硫化物(輝安鉱)として出ます。以前私
が紹介したのは、ベルチェ鉱(アンチモンと鉄の硫化物)ですが。アンチモンを含む鉱物
は、しばしば金銀の鉱山に出ます。松浦純様がご指摘の中瀬鉱山もそうです。こうした場
合、アンチモンを含む鉱物は不要物となり、ズリ捨て場に捨てられていたりします。
アンチモンは、鉛などと混ぜて活字合金として使われていました。アンチモンを含む合
金は、水と同じく液体が固まるとき膨張する性質があります。このため、型に流し込んだ
ときに、きれいに文字の形ができるのです。最近は、不燃繊維の原料などになるそうです。
日本では、アンチモンは古くから資料に登場します。「白め」(漢字を忘れてしまいま
した)という名前で、古事記だったか日本書紀に出てきたはずです。伊予の国からの献上
品とのことで、明治30年代に世界的な輝安鉱の結晶が多産した市ノ川鉱山周辺でとれた
のでは言われています。したがって、アンチモンが富本銭に使われたのは、十分にありえ
ます。
なお、浅田さんの本は、とあるネットワーク書店ですでに注文しました。
中瀬鉱山の旧選鉱場の上の方でも、けっこう転がってます。たまに自然金もありますし。どちらかといえば、私はテルルの方が好きですが。
どうも、北海道の松浦です。浅田先生の連絡先、早速調べてお知らせ
いたしますので、どうぞお待ち下さい。当地の公立図書館等ではすで
に配架されておりますので。
さて、北海道の方で御覧になっている方はいらっしゃいますか?
特定商品の宣伝になるので詳しくは申しませんが、北海道で昨年倒産
して、今年6月に復刊した某新聞がありますが、8日に豊羽鉱山の記事
が掲載される予定。
大島真弦様、おひさしぶりです。
相変わらず充実した書き込みありがとうございます。
情報の伝達には、この場をご活用ください。
これからも、どうぞよろしく。
おひさしぶりです!たいへんご無沙汰いたしました。
ちょっとほかの事に手がかかりすぎて、
それに、対馬のアンチモンに行き詰まったこともあって、
ずいぶんご無沙汰いたしました。
Officer様に、手持ちの資料名をお知らせしようと
思いつつ、あっというまに、2ヶ月もたってしまいました
(こうやって年をとっていくのね・・・)。
けっこうあるので、近日中に、時間をとってお知らせします。
この場をお借りしてもいいでしょうか?
高山様がお探しの“浅田政弘”氏、わたしも探してみましたが、
見つかりませんでした。が、Officer様のお返事で、わかって
よかったです。今年の2月に出た新しい本ですね。
そろそろ図書館に入るころだから、入ったら、浅田さんの
住所、奥付で見てみます。
6月24日(木曜日)の『読売新聞』の夕刊に、「富本銭は
金色だった!?」という見出しで、
富本銭(銅銭)は、アンチモンを平均15%も含む、他に
例のない特殊な合金製だった・・・アンチモンを主成分の
一つにした銅(青銅)製品は飛鳥池遺跡出土品にはなく、
富本銭用に特に調合されていた。アンチモンの割合が大きいと
貨幣は金色に光り輝くというが、この鋳造法はのちの貨幣には
引き継がれていない。
という記事が載っていました。アンチモンと銅を混ぜると、
金色になるのですか?アンチモンと銅といっしょに採れたら、
金色になっていて、金と間違える、な〜んてことはないでしょうね・・・。
それはともかく、アンチモンの解説のところに、
飛鳥池遺跡でも輝安鉱が出土、当時鉱山開発がなされていたことを
裏付ける。しかし、単独で分離されるのは十五世紀以降とされ、
古代にどのように使用されていたかは不明。
とあり、アンチモンは、名前はハイカラだけど、すでに7世紀後半から
利用されていたのですね。
あと、6月の中旬だったか、NHKの首都圏ニュースで(首都圏以外では
放映されなかったかも)、葛飾区の“寅さん記念館”のおみやげに、
寅さんの鞄と帽子をかたどった置物が売られることになって、
なんとそれがアンチモン合金で作られていると言っていました。
さらに、製造者の名前の上に、「葛飾アンチモン会」と出ていて、
二度びっくりしました。アンチモンって、歴史が古いだけじゃなく、
今も会ができるほど、“人気”の金属なんですね。
5/22付けの高山様の書きこみに、「道の脇に沢山のアンチモン鉱物が
転がっていました。」とありますが、これも、「えぇっ!」ってかんじです。
そんな、石ころみたいに金属が転がってていいのですか?
と聞きたくなります。が、こう思うのは、皆様の中で、多分わたしだけでしょう。
わたしも、アンチモンをナマで見てみたいです。HPや図鑑じゃなくて。
ナマ・アンチモン。
6月に新宿で“東京国際ミネラルフェア”というのがあったらしいのですが、
行きそびれてしまいました。
兵庫県の生野博物館に、大きいアンチモンが展示されているのでしょうか?
熊本日日新聞の記事によりますと、
2炭鉱、存続の見通し 電力業界が引き取り継続へ
国内で最後に残る太平洋炭砿(北海道釧路市)と池島炭鉱(長崎県外海町)の存廃
問題は、二十三日までに通産省と関係者との非公式協議で、国の現行の石炭政策が終
わる二○○二年度以降も当面存続する見通しとなった。海外からの輸入炭に比べ割高
な国内炭の引き取り継続に強く反発していた電力業界側が、同省の説得に応じて協力
姿勢に転じたためだ。
とのことです。
詳しい情報は、http://www.kumanichi.co.jp/dnews/990623/kiji5.5.html ご覧ください。
地質調査所地質標本館にあるモンスターゴールドが8月に里帰りします。
気仙沼市の鹿折金山で採掘された金鉱石が当時の6分の1の塊が地質標本館に展示されて
いましたが(このニュースでも紹介されている)宮城県気仙沼市で一般公開される。
展示場所:宮城県気仙沼市赤岩牧沢「リアス・アーク美術館」
展示期間:8月4日〜8月17日の予定
展示日程は現在の所、予定です。 問い合わせ先 気仙沼市役所 TEL: 0226-22-6600
東北地方の方は実物のモンスターゴールドを見るチャンスです。
でも採掘された時の金塊は6倍とは・・・
詳しい情報は、http://www.kahoku.co.jp/NEWS/1999/03/19990324J_06.HTM ご覧ください。
黒鉱鉱床のホームページを紹介します。
英語版で、日本語版はまだありません。
詳しい情報は、http://www.dec.co.jp/English/GeoE/kuroko.html ご覧ください。
石川潤一@南アルプス金鉱探査センターです。
東北地方のモリブデンについての書き込みを拝読しました。
私自身がかつて秋田県の山の中で見た、モリブデン鉱床を以下に記します。
1.仙北郡田沢湖町南東部・部名垂沢(へなたれさわ)上流
支流のセンノウ沢に、輝水鉛鉱−黄鉄鉱−石英脈の露頭あり。
2.仙北郡田沢湖町大杉沢東、国道46号線宝風橋付近の生保内川河岸
輝水鉛鉱−黄銅鉱−石英−白雲母脈あり。
付近に鉱化時期の異なる閃亜鉛鉱−黄銅鉱脈もあり。
3.河辺郡河辺町、丸舞川沿いの旧採石場
輝水鉛鉱−黄鉄鉱−石英−カリ長石脈あり。
4.その他、秋田市仁別と仙北郡西木村小波内沢流域でも、
第三紀花崗岩の内部やその近傍に、微弱なモリブデンの鉱化があり。
これらは、資源エネルギー庁−金属鉱業事業団(昭和60年度 広域調査
報告所 田沢地域)などの資料で公になっています。戦時中以外では採掘
されたことはないようです。
なお、このようなデータを加えれば、石原舜三先生が様々な論文で掲げ
ている、タングステン鉱床区とモリブデン鉱床区の境界も、再検討の余地
があるように思われます。
南アルプス金鉱探査センターは、日本国内の金鉱探査に関する有益な情報を集めています。
Give and Takeを原則に、情報の収集を図っています。
また、未知の同志を探しています。
メールをお寄せいただければ幸甚です。
なお、当センターのホームページのアドレスは、
http://www.kt.rim.or.jp/~sodom/akaisi.htm
です。
よろしくおねがいいたします。
詳しい情報は、http://www.kt.rim.or.jp/~sodom/akaisi.htm ご覧ください。
古屋の鉱山好き男さんへ
五加鉱山は、鉛や亜鉛の鉱山です。2次鉱物もとれます。私は、ここで念願の青鉛鉱を採集
しました。菱亜鉛鉱とおぼしきものも、とれました。
アンチモンの鉱山は、金加鉱山のほうですね。ここは、道の脇に沢山のアンチモン鉱物が転
がっていました。ベルチェ鉱がメインのようですが。
参考文献
鉱物採集の旅 東海編
中部地方には、岐阜県神岡町に吉城鉱山(鉛、亜鉛)、下の本鉱山(金、銀)の捨て石たい積場があり、
まだ鉱物が見られます。
久瀬村には花房鉱山(銅)、白川町には五加鉱山(アンチモン)、蛭川村に恵比寿、遠ヶ根鉱山(タングステ
ン)、愛知県東部に津具鉱山(アンチモン、金)、
のたい積場を掘るとめずらしい鉱物にであいます。
炭鉱時代の資料を中心に展示している北松世知原町の町立歴史民俗資料館がこのほ
ど、内装を一新した。リニューアルは1975年の開館以来、初めて。
同町は、明治中期から昭和40年代にかけての石炭の町として栄えた。同資料館は、
町内で石炭を採掘していた松浦炭鉱(当時)の事務所として1910年に建設。洋風石造
り(平屋、約230平方メートル)の重厚な建物で、75年、県文化財に指定された。
館内には、ガス検定器や坑内電話など炭鉱で使用された道具や大型機械はじめ、か
つて石炭運搬車が走り、閉山に伴い廃止された旧国鉄世知原線に関する資料、農具、
生活道具などが展示されている。
長崎新聞(5/20)
【福井県】旧上穴馬村(現和泉村)にあった「面谷(おもだに)鉱山」の全盛期の
写真が和泉村教委の資料箱で見つかった。面谷鉱山は、約六百五十年前の南北朝時代
から続いた鉱山で、村教委の担当者は「村の歴史を知る貴重な資料」と目を輝かせて
いる。
面谷鉱山は、岐阜県境にある銀や銅を産出した鉱山。康永年間(一三四二−四五年
)に発見されたといわれ、寛文年間には福井藩が、天保年間には大野藩が採掘にかか
わってきた。明治二十一(一八八八)年には、三菱合資会社の経営に移り、近代的な
鉱山として脱皮。全盛期を迎えた大正初期には年間約三万二千トンの鉱石を産出して
いた。
当時、炭鉱労働者六百−七百人、同集落の人口は約千人を数えたが、ほとんどの住
民がスペイン風邪(インフルエンザ)にかかり、一カ月の間に約九十人が死亡。この
大惨事に不況も重なり大正十一(一九二二)年、面谷鉱山は閉山となった。
写真は、村教委が村教育福祉総合センターから村山村開発センターへの引っ越し作
業中、資料箱の中から見つかった。写真は四つ切りサイズで、撮影者は不明だが、建
物から類推して明治時代末から大正初期の撮影という。鉱山の横を流れていた面谷川
を上流から見渡しており、手前に鉱山の建造物など全景が、奥に集落が写されている
。現在この場所は荒れ果て、往時をしのぶものはほとんどないという。
和泉村教委の洞口幸雄教育長は「貴重な写真なので、引き伸ばして村郷土資料館に
展示したい」と話している。
国内で最後に残った二カ所の炭鉱(北海道・太平洋炭鉱と長崎県・池島炭鉱)への補助は、平成13年でうち切られる予定であったが、国内採炭技術の維持などのために期間延長されることになった。
現在、約300万トンの国内炭が消費されているが、国内産の石炭は輸入炭に比べて割高になるため、電力会社などが引き受けることで採算性を維持してきた。今後、補助が打ち切られることにより、国内炭鉱が全廃となる可能性が高いため、いつまで補助が継続されるかが気になるところである。
今年も神岡鉱山では、恒例の「ジオ・スペース・アドベンチャー」(GSA)が開催されます。
7月24日(土)〜25日(日)で、詳しくは下記ページに出ています。
詳しい情報は、http://www2.shift.ne.jp/%7eg-s-a/ ご覧ください。
Officer様
そうですね。普通に本屋に頼めばいいのですね。鉱山関係だと、しばしば自費出版とか
そんなものが多いので、本屋ではだめかと思ってしまいました。わずか十部しかない、「
砂金の流し掘り」の本など持っているので、そう思い込んでしまいました。いずれにしろ、
ちと高いですね。山の神のご機嫌を伺いながら買おうと思います。
それと、小説の虚構の話は、ほんとにそうですね。「ノストラダムス」関係の本の嘘の
つき方など、最低ですね。その点、元を書いたノストラダムスはすごいです。何百年もあ
との人間を手玉にとる嘘を上手に書いたのだから。
最近、認知心理学者の菊池聡さんの本に感銘を受けた私です。
高山様へ
>5月11日の日経新聞に、標題のような本の紹介がありました。この本を是非
>手に入れたいのですが、著者の旭川大学教授の浅田政弘さんの連絡先をご存知の
著者の連絡先は判りませんが、本なら普通の書店で入手できると思います。
下記が本の情報ですのでメモって本屋に注文すれば取り寄せて貰えると思います。
私も今注文中です。
ISBN :4832960210
著者 :浅田 政広【著】
出版社:(札幌)北海道大学図書刊行会
NDC:562.1 99.2.28 446p 21cm(A5)
\8 200
大島様へ
資料の探し方ありがとうございます。
私の探し方は各地方の博物館、科学館、歴史資料館などを片っ端から見学する
のと、地名辞典をしらみ潰しに読むことが主です。
この方法だと江戸時代で閉山して明治以降操業してない鉱山も多少は見つかる
のですが、お金や時間と手間暇がかかり過ぎるので。
東京へは年数回しか行ってないのですができるだけ暇を見つけて行くように
したいと思います。
でも、図書館での検索って題名が判っていれば圧倒的に楽なのですね。
暇になったらお手持ちの資料名を教えてください。
高山様へ
>戦国大名は、皆戦費調達のため金銀鉱山の開発に熱心でした。
新田次郎の小説では武田信玄が今川を侵略した原因のした原因の一つとして甲州
の金山が衰退したので新しい金山を求めたような記述がありましたね。
もちろんそれだけでの理由ではありませんが。
私の「伊達政宗は鉱山オタク」云々は私の創作の部分です。(^_^)
小説は事実の中にもっともらしい嘘を、言い換えればバレにくい嘘を書くものと
いうのが個人的な考えなので。
持元様、高山様へ
誤
> 持元氏も述べておられます大川目鉱山以外にも
正
高山氏も述べておられます大川目鉱山以外にも
お名前を取り違えました。
大変失礼しました。
5月11日の日経新聞に、標題のような本の紹介がありました。この本を是非
手に入れたいのですが、著者の旭川大学教授の浅田政弘さんの連絡先をご存知の
方はいらっしゃらないでしょうか?
私も、北海道の金鉱山をずいぶん歩いたものですから。
神岡鉱山で恒例の「坑内探検」ジオスペースアドベンチャーが今年も開催されるようです。
日程や申込方法は、下記ホームページをご覧ください。
なお、GSAホームページの更新は、5月14日(金)ころの予定です。
また、新聞掲載は6月1日の予定です。
お問い合わせ
神岡鉄道(株) TEL 0578−2−1182 まで。
詳しい情報は、http://www.pref.gifu.jp/kamioka/ ご覧ください。
Officer様
「戦国鉱山技師」とは、なかなかおもしろそうですね。
目のつけどころもいいのでは?
ところで、おたずねの件ですが、お役に立つかどうかわかりませんが、
紹介させていだだきます。
最初に、資料の入手方法をご紹介したほうがいいと思います。
資料の探し方というか、手順のご参考になさっていただければ
幸いです。しろうとのわたしが「対馬のアンチモニー鉱山」に
ついてどんなふうに調べたか、を申しあげます。
1.国会図書館へ行く。→「明治期」「大正期」に(国会図書館が)受け入れた
図書カードの棚の所へ行く。→「件名」の棚で、「鉱山」の項目を引く。→
「鉱山」の項目には何十冊もあるが、書名から適していると思うのを選び、
カウンターに請求する。たとえば、『明治四十一年鉱産表』(農商務大臣
官房統計局課編、明治42・9)、『福岡鉱山監督署管内鉱区一覧』
(福岡鉱山監督署編、明治44・9)、『大日本帝國西部鉱産図』
(農商務省地質調査所、大正1・12)の3冊を請求する。→カウンターから
出てきた現物を見る。→上記の3冊のうち、『大日本帝國西部鉱産図』は
中国、四国地方のみで、九州が載っていなかったので、この場合、
”はずれ”ということになります。
そうそう、先に国会図書館の仕組みをお話すべきでした。
もうご存じでしたら、飛ばしてください。
国会は、すべて閉架式になっているので、まずはじめに
カードで書名と請求番号を調べなければなりません。
書名がすでにわかっている場合は、パソコン・コーナーへ
行って検索すればいいのですが(明治期と1948年以降に
刊行された本に限る。今のところ、大正期〜1947年に出た
本は、CD-ROM化されていないので。)、今回のように、本の題名が
わかっていない場合や、大正期〜1947年の間に出た本の場合は、
手書きのカードで調べます。
つぎに、請求番号と書名を書いた請求票をカウンターに
出します。一度に請求できるのは、2枚(9:30-10:30は3枚)です。
で、本が出てくるのに30分はかかります。
ということで、作業は遅々としてすすみません。
2.1のやり方で、”当たり”が出るまで、根気よくつづけます。
同様に、調べたい地域ーわたしの場合、対馬ーについても、カードで
それらしいのを選びます。そして、請求する。”当たり”が出るまで、
この繰り返し。
国会に行けない場合はどうするか?
a.県立図書館か市立図書館で、上記の手順でさがす。
b.調べたい県の図書館のHPやメールで、問い合わせてみる。
地域を限定して調べている場合は、役場に問い合わせるのもいい。
結構親切に、もっている資料を教えてくださると思います。
c.書名がわかっていれば、下記のHPで検索できます。
国会図書館 http://www.ndl.go.jp/
残念ながら、まだ図書の検索はできません。「書誌情報の検索」というところで、
過去一年間に整理されたものは検索できますが、これではほとんど役に立ちません。
都立中央図書館 http://www.metro.tokyo.jp/INET/TOSHO/TOSHO.HTM
都立も国会に次いで多くの本を持っています。探している本が都立に
あるかないかは、ここで検索すればわかります。
NACSIS Webcat http://www.webcat.nacsis.ac.jp/webcat.html
文部省だったかな、全国の国公立大学の図書館につながっていて、
探している本がどの大学にあるか、検索できます。
金属鉱業事業団 http://www.snake.mmaj.go.jp/index.html/
オンライン図書検索は、作成中ですが、メールで持っているかどうかを
問い合わせることができます。
地質調査所(日本地質文献データベース)
http://www.aist.go.jp/RIODB/GEOLIS
松浦様、高山様(?)のおひざもとです。ここの文献は、「地学
情報サービス株式会社」(gsis@kb3.so-net.ne.jp)に注文すれば、
コピーして送ってもらえます。
あと、社史というのも手です。対馬の対州鉱山は、東邦亜鉛株式会社が
操業していたので、社史『荒野を拓く』という社史を見ました。
長くなってきたので、わたしがもっている資料の紹介は、
次回(多分あしたかあさって)にします。
ps.わたしは、今は首都圏に住んでいますが、もともと西の出身ですので、
いまだに東北地方をよく把握しておりません。花巻は、そうそう、
岩手でした。失礼いたしました。
Officerさん、こんにちは。
戦国大名は、皆戦費調達のため金銀鉱山の開発に熱心でした。
大河ドラマの「毛利元就」でも、大森銀山の争奪の話が出ていま
すし、山梨には信玄が開発したと言われる金銀の旧坑があります。
家康も鉱山を沢山開発して、多量の金銀を蓄財したそうです。
この頃、海外より「灰吹き法」と呼ばれる画期的な金銀の精錬
法が伝わったことにより、新たな鉱山の開発が可能になりました。
秀吉の頃盛んに採掘された多田銀山は、灰吹き法を用いないと精
錬できないタイプの鉱床だと思います。
>東北にはモリブデンは出なかったのでしょうか。
私は読んでいないのですが、東北の鉱山なら多少は調べたので。
持元氏も述べておられます大川目鉱山以外にも岩手の三根、北頭、普代、宮城の
丸森、山形の八久和、念珠ケ関、福栄頓、福島の田子倉、金上などがあります。
もっとも、上記の全てが稼働した鉱山ではなく、品位が低く試掘で終わったのも
まじっていますが。
あと、花巻は岩手県ですよ。
大島様へ
>わたしは専門外ですが、アンチモニーと対州鉱山、明治〜大正期の鉱産地、統計等に関しては、かなり
>資料を集めました。もし、これらの件で資料が必要な方がいらっしゃれば、どうぞおっしゃってくださ
>い。せめてもの“お礼”をさせていただきたいと思っています。
初対面同然の間柄であつかましいお願いですが、もしよろしければ過去の鉱産地や統計、
精練法などの資料名と入手方法を教えて下さい。
と申しますのも、私が生まれ育った郷土の英雄の『伊達政宗』への興味が高じて素人な
がらも彼の小説を書いてみたいと思うようになり、余暇を利用して少しづづ調べていった
らあることに気が付きました。
1600年、日本の中央で関ケ原の戦いが起きた頃、伊達政宗は2万余の軍勢を率いて
福島方面へ出兵して上杉勢と戦います。その他にも北では和賀郡の旧領主だった和賀忠親
を支援して南部藩領に攻め込んだ他、あまり知られていませんが、南部氏に追い出された
遠野領主の阿曽沼氏を支援して釜石経由で遠野に攻め込もうともしました。
政宗軍主力が攻め込んだ南の地域にはこのHPで紹介されている日本三大金山、銀山の
高玉金山と半田銀山があり、北の南部領の和賀郡の湯田町や沢内村は有数の鉱山地帯(私
が把握しただけでも20ヶ所以上ある!)で、遠野地方から伊達領にかけての地域もまた
鉱山地帯で時代は少し下るけど伊達、南部ともに鉄砲隊に護衛された砂金取り隊を藩境を
越えて互いに送り込んでいたりした事実がありました。
もしかすると伊達政宗は金山銀山を狙って兵を動かしたのかもしれないと思い付きました。
この仮説をさらに飛躍させて「伊達政宗は鉱山オタクだった」と勝手に断定。(爆)
もう一歩ひねって「鉱山オタクの伊達政宗の側近に日本全国の鉱山を把握している山師
がいたとしたらどうなるか」というテーマで小説を書いてみたくなりました。
イメージとしては「戦国自衛隊」ならぬ「戦国鉱山技師」みたいになる予定。
テーマがテーマですから鉱山の事を調べなければならないのですが、宮城県内の鉱山は
地元だけにそこそこ判りました。周辺の東北地方も何とかそれなりに。
しかし、それ以外の地方の鉱山の事はほとんど進んでいない状態です。
私は本業はサラリーマンで余暇を利用しての調査、執筆なのでいつ出来上がるか自分で
もわからないのですが、大島様が把握していらっしゃる資料名、入手方法を教えて頂けれ
ば、たいへんありがたく思います。
大島様・持元様
うる覚えですが、確か岩手県には大川目鉱山という
モリブデン鉱山があったはずです。また、釜石鉱山周
辺のスカルン鉱床にも、輝水鉛鉱が出たはずです。
私は宮沢賢治の研究者ではありませんが、かなり熱を入れて読みました。
桜井先生には失礼ですが、舞台は間違いなく東北(岩手県あたり)だと思います。
賢治はかなりの鉱物マニアですから、付近の地質を知り尽くした上でわざとはぐらかして、
場所を特定できないように仕組んでいる可能性があります。
童話の設定では「モリブデン鉱山の開発は見送ることになった」ために又三郎は別の学校へ転校してしまいます。
だから現実にモリブデン鉱山が成立していなくても構わないわけです。
これは「鉱物趣味のページ」を開設されている
沢田様から教えていただいたことなのですが、
宮澤賢治の「風の又三郎」に、「モリブデン」が
出てきます。又三郎のお父さんがモリブデンの
鉱山関係者という設定になっています。
『鉱物採集の旅』(櫻井欽一・加藤昭)では、
又三郎が転校してきた小説の舞台を、
山梨県初鹿野鶴瀬の輝水鉛鉱だろうとしています。
わたしは、宮城県の花巻だとばかり思っていました。
宮城県でないとしても、あの方言は
東北地方のものだと思うのですが、
東北にはモリブデンは出なかったのでしょうか。
「すずらん」のおじいさんは、ちょっと見ない間に
帰っていて、今度はクマを獲る装置を
考案していました。鉱山はどうなったのでしょう?
大島様こんにちは。
留萌周辺ですと、羽幌周辺の炭坑ではないでしょうか。
他には、万年筆のペン先に使われたイリドスミンが、付近の川の底からとれます。でもこれには、ランプは必要ありません。
NHKの朝の連ドラ「すずらん」をご覧でしょうか?
4/10(土)の放送で、故・三木のり平が演じる旅館の
ご隠居さんが、一攫千金を狙ってどこかの
鉱山へ出かけて行くシーンがありました。
鉱山道具一式(テレビでは木箱の上にランプ2個とロープ
があっただけですが)に200円も払わされた、とお嫁さん
役の万田久子が、亭主役の石倉三郎とけんかしていました。
三木のり平演ずるおじいちゃんは、どこの鉱山へ
行くのでしょう?舞台は北海道・留萌です。
お世話になりましたお礼に、そしてまたまた、管理者の待元様の
あたたかいお言葉に甘えて、”ニュース”ではありませんが、
ちょっとおもしろい発見をご紹介させていただこうと思います。
和田維四郎という人は、近代鉱物学の父のような方なのでしょうか。
それはともかく、和田氏の著書『日本鉱物誌』(明治37年)で
アンチモンのことを調べようと目次を見たのですが、「アンチモン」
もしくは「輝安鉱」では載っていません。「おかしいなぁ」と思って
索引を見てもAntimonyはありません。「アンチモンってマイナーなのかな」
とあきらめかけたとき、Stibniteの文字が目に入りました。
そうです!アンチモンはスチブナイトなのです!
一つの鉱物に二つのちがう名前がついてるなんて、不思議です。
さらに、『日本鉱物誌』では、Stibniteは「輝安鉱」ではなく、
「輝テイ(金へんに弟と書きます。一字で出ないのでこう書きます)鉱」と
なっています。和田維四郎はアンチモンの鉱物鉱石を、
「キテイコウ」と呼んでいたのです。
この「テイ」(左側が「金」で右側が「弟」)という漢字を
『大漢和辞典』巻十一(大修館書店)で調べてみると、なんと
この「テイ」という漢字は、ずばりアンチモニーそのもののことなのです。
アンチモニーは、中国では「金弟」と訳され、あるいは、「銑」もしくは
「金安」(これも一字で出ません、金へんに安)とも訳されたようです。
『中華大字典』には、「金弟、化学原質之一、或訳銑・金安、金属」と
載っている、とあります。
つまり、アンチモニーの鉱物鉱石は、ただしくは和田が書いているように、
「輝金弟鉱(キテイコウ」であって、それが「輝金安鉱(キアンコウ)」になり、
「金安」の金へんが落ちて、現在の「輝安鉱」になったというわけです。
「金弟」(テイ)が「金安」(アン)になったのは、おそらくAntimonyの
アンという音にあわせたからでしょう。
漢字はひとつひとつ意味を持っているんだ、とあらためて気づかされました。
そしてその漢字の意味をちゃんと知った上で使っていた、明治の人・
和田維四郎もさすがだなぁ、と思いました。
対馬のアンチモニー鉱山の話題、おもしろかったです。勉強になりましたし。
今までこの種の議論は、専門的だったり、鉱物マニアの採集地情報に偏ったりしている傾向がありました。
今回のように文学からのアプローチは貴重で、しかも実りあるものとなって喜ばしいことです。
他の方からも、広い視野での鉱山議論をお待ちしています。
部外者がとんでもない話題でこのページを“占拠”しはじめてから、はや2ヶ月がたちました。おかげさまで、そろそろ「対馬のアンチモニー鉱山」に決着がつきそうです。いろいろご教示いただきまして、本当に感謝いたしております。管理者のご好意に甘えて、この場で質疑応答をさせていただいておりますが、本来の「鉱山ニュース」からはずれてしまい、それを期待していらっしゃる方には、申し訳なく思っています。が、Officer様のように、この“占拠”が多少なりともお役に立てれば幸甚です。わたしは専門外ですが、アンチモニーと対州鉱山、明治〜大正期の鉱産地、統計等に関しては、かなり資料を集めました。もし、これらの件で資料が必要な方がいらっしゃれば、どうぞおっしゃってください。せめてもの“お礼”をさせていただきたいと思っています。
さて、本題ですが、松浦様のご指摘を、「四面銅鉱や車骨鉱からアンチモニーがとれるからそれらの鉱山をアンチモニー鉱山と呼べる」というように誤解してしまいました。すみませんでした。が、4/1の書きこみでよくわかりました。
また、松浦様のおっしゃるように、わたしも「対馬のアンチモニー鉱山」は創作だろうと思います。が、それを断定するためには、「対馬ではアンチモニーがとれなかった」ということを徹底的に調べ上げて、「なかった」ということを証明しなければなりません。それでこのページへやってきていろいろ教えていただいているのですが、ようやく「なかった」と断定できるところまできたように思います。ただ、最後までひっかかるのは、松浦様の
>北対馬では鉱液にアンチモンが含まれているのだから、部分的にアンチモンに富む鉱脈が
>形成されて、鉱山としての記録に見えていない所に輝安鉱かベルチェ鉱に富む鉱脈が生じな
>かったとは言い切れないだろう
という、記録に残っていない「隠れアンチモニー鉱山」の存在です。そこで、対馬の役場と対馬郷土史会と地元の郷土史家の日野義彦氏に、問い合わせてみました。が、やはり「アンチモニー鉱山」のことは知らないと言われました。日野氏は「もう少し当たってみよう」とおっしゃってくださいましたので、何か出てくればいいなと思っていますが、「隠れアンチモニー鉱山」の可能性はかなり低いとみなしていいと思います。
ここまできてやっと「フィクションの可能性がかなり高い」と言い切る自信がつきました。
松浦様のご質問、>作者は場所の特定ができないようにアンチモニー鉱山が無いことを確認しているとは考えられませんでしょうか?>についてですが、鋭いご指摘ですね。
実は、当時の対馬は、「要塞地帯法」によって「要塞地帯」に指定され、陸軍の重砲兵聯隊(じゅうほうへいれんたい)、警備隊が駐屯し、浅芽(あそう)湾には海軍の要港が置かれ、沿岸に砲台が建設されていました。対馬は日本の前線基地だったのです。それで、下県(しもあがた)のほぼ全域は測量、模写等が禁止されていました。
たしかに小説には「この島」としか出てこず、対馬だと明言していません。地名だとか朝鮮の山が見えるとかの表現で、「この島」が対馬だとはわかるのですが、意図的に対馬であることの明言を避けていると推測できます。アンチモニー鉱山に関しても、ご指摘のように>作者は場所の特定ができないように(対馬に)アンチモニー鉱山が無いことを確認して>、わざと「この島のアンチモニー鉱山」とした、と考えられます。アンチモニーにしたのは、市ノ川産の輝安鉱の結晶が世界的に有名な鉱物だったからでしょう。以前も書きましたが、夏目漱石の『吾輩は猫である』や『彼岸過迄』に、「安質母尼」がでてきます。「安質母尼」は明治に”流行った”鉱物だったと言えるでしょう。
振り返ってみますと、わたしはこれまで、「対馬のアンチモニー鉱山」フィクション説を証明するために、皆様にご教示をあおいできたことになります。もちろんはじめは、「わたしの調べでは見つからなかったけれども、対馬にアンチモニー鉱山があったのでは」という期待が強かったのですが、次第に「ない」ことを証明することに重点が変わって行きました。
「たかがこれしきのことで・・・」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、「創作だ」と断言ためには、「対馬にはアンチモニー鉱山がなかった」ということを、証明しなければなりません。もし将来「島の秋」を研究する人があわられて(そんな物好きは、多分出てこないでしょうが)、その人が「アンチモニー鉱山はここだ」と証明したら、わたしは”おじゃん”です。小説の解釈なら立場のちがいですみますが、このような事実関係は致命的です。相当慎重にやらなければなりません。長い間、皆様をわずらわせて申し訳ありませんでしたが、ここにいたってやっと”創作説”を提唱できるようになったと思います。皆様のご教示には、本当に感謝しております。ありがとうございました。
お名残惜しいですが、いつまでもひきずるわけにはいきません。ひとまず、「対馬のアンチモニー鉱山」についての、わたしの質問は終了させていただきます。が、もし何かご意見やご指摘がございましたら、ひきつづき教えてください。
繰り返しになりますが、皆様、本当にありがとうございました。また、ここへへんな質問を持ち込むかもしれませんが、そのときはどうぞよろしくお願いします。
速報でお知らせしています、特別展「愛媛の鉱山」は平成11年4月11日(日)までです。
四国の休廃止鉱山情報が充実しており、特に別子銅山の展示に力が入っています。
弊ページからも、四国以外の鉱山コーナーで展示用写真の一部を提供しています。
機会があればご覧ください。
初めまして、Officerと申します。
対馬のアンチモンの話について参加はしていませんが興味深く読ませて
いただいてます。
おかげで、私の知らない資料の存在にも気が付きました。
「鉱山ニュース」を開設しています持元と申します。
このページの利用方法としては、鉱山に関する質疑応答は問題ありません。
(松浦様がご迷惑でなければ、このままお続けください。)
他の人の発言が少なくなっているのは、恐らく議論が専門化しておりついて行けないためでろうと推測します。
(私も十分理解できていないと思います。)
しかし情報を共有する目的であれば、読者レベルに合わせる必要はないと思います。
できれば、直接相手に呼びかけるような表現や、あいさつなどはご遠慮していただきたいですが..
また、あまり個人的に負担になっているとお感じであれば適当に議論を切り上げていただければ結構かと思います。
(管理者は、議論の進め方には干渉しない方針です。)
今後、質疑応答のためのコーナーを開設する計画ですが、当面は現状で行きます。
ご理解をよろしくお願いします。
昨日の拙文の2について言葉が足りなかったので補足します。
本件では小説が具体的なモデルに基づいているという前提にたって考えているわけですが、作中の土地にアンチモニー鉱山が実在したのであれば、作者が鉱石を見て何の鉱山か判断する必要も無いわけですし、もちろん間違うこともないと思います。ここで上の前提によらず1の末尾で述べた心証によれば、もちろん2は全く議論が成り立ちません。
持元様 本件についての問答はここのところ2人しか参加していませんが、このまま本ページ上で続けてもよろしいでしょうか? もしよくなければ、お互いのメールアドレスが分かっていますので、個人的なE-mailでの議論に移ります。今回は質問が本ページに投げられましたので、ここで回答します。 松浦浩久
大島様のご質問
1.明治期に四面銅鉱などからアンチモンが取り出せたか?
硫安ニッケル鉱は戦後発見されたものなので明治に稼行対象であったとは思われません。四面銅鉱と車骨鉱は硝酸に溶けてアンチモン酸化物の沈殿を残すので、明治時代であっても取り出すことは容易です。しかしこれらの鉱物は銅の鉱石として扱われるもので、アンチモンを含んでいてもこれを採掘する鉱山をアンチモニー鉱山と呼ぶことはないと思います。
先にこれらの鉱物を私があげたのは、鉱床を形成した鉱液に鉛・亜鉛・銀・銅などの元素に混じって幾分かのアンチモンが含まれたことが示唆されるということであって、四面銅鉱・車骨鉱・硫安ニッケル鉱の産出を以てアンチモニー鉱山というわけではありません。アンチモニー鉱山と称する場合の鉱石鉱物はほぼ輝安鉱かベルチェ鉱に限られます。私が言いたかったのは、北対馬では鉱液にアンチモンが含まれているのだから、部分的にアンチモンに富む鉱液が形成されて、鉱山としての記録に見えていない所に輝安鉱かベルチェ鉱に富む鉱脈が生じなかったとは言い切れないだろうというものです。
さて今の私の心証ですが、アンチモニー鉱山というのは作者の創作部分で、実際には存在しなかった気がしています。存在しない標高の山や佐郷という地名の使用はその思いを強くさせます。私からの反対の質問なのですが、作者は場所の特定ができないようにアンチモニー鉱山が無いことを確認しているとは考えられませんでしょうか?
2.輝安鉱を方鉛鉱と間違えたと思うか?
作者が間違いを犯したかどうかは私には分かりません。私は小説を読んでいないので大島様のお書きになる文面を拝見する範囲の情報しか知り得ません。しかし「誰れの目にもこの島の海岸のアンチモニー鉱山の工夫だといふことは一と目で察せられた。」の「誰の目」が地元の人の目とすると、アンチモニー鉱山というのは地元での認識であって、作者の間違いとはいえないように思われますが、どうでしょうか?
松浦様には、わざわざ資料を送っていただき、本当にありがとうございます。その後、いろいろ考えてみました。そこでご質問させていただきたいのですが・・・。
松浦様の説では、上対馬の「しげくま坑」や「二本木坑」からは、四面銅鉱、車骨鉱、硫安ニッケル鉱がとれたという報告があり、それらはSbを含んでいるので、上対馬にはアンチモンがとれたと考えられる、ということなのですが、明治時代の段階で、たとえば、四面銅鉱の鉱石を銅と鉄とアンチモンとに製錬することはできたでしょうか。いただいた資料は昭和46、48、52年のものなので、明治期はどうだったのだろうと思うのです。
あと、申し上げていなかったのですが、作中でいちばん信頼できる情報は、登場人物が「島で一番と言はれる佐郷川」をめざしていて、「測量基点の三角柱」のある山頂付近で、「佐郷までは尚(も)う二里もあらうかのう?」と言っているという点です。字はちがいますが、「佐郷川」とは「佐護川」のことで、そこまで二里、つまり約8KMあたりの山、しかも明治期に三角点のある山、となると、「御嶽」が考えられます(登場人物は山の高さを、「標高六ニ○米三・・・」とつぶやくのですが、この高さに該当する山は対馬全体を見てもないので、この標高はあてにならないので、三角柱があったという点だけが信頼できる情報です)。
松浦様がアンチモンがとれた可能性のあったとされる「しげくま坑」「二本木坑」「井口浜坑」「源什(げんじゅう)ナキナキ旧坑」「上ヶ採(かみがさいぐち)露頭」の場所は、「佐護川」と「御嶽」の中間にあり、登場人物は、鉱山→佐護川と行かずに、わざわざ御嶽にもどって鉱山→御嶽→佐護川と行ったことになり、ちょっと変だなぁ、という気もします。
「琴(きん)」や「仁田(にた)」に四面銅鉱などSbを含む鉱石があればうってつけなのですが、いただいた資料には、残念ながらありません。
が、この点はともかく、先の明治期に四面銅鉱等からアンチモンが取り出せたかどうかという点について、ご意見をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。
それから、磯部克『鉱物の博物誌』(H8、星雲社)に輝安鉱の名称の歴史が載っていて、”昔の人も輝安鉱と方鉛鉱との両者を混同していたようである。両者が同じような灰色〜青黒色、硬度2〜2.5、比重4.5位であるからだ。粉末にしたら見ただけでは区別はできない。”とあります。
磯部氏も引用していますが、実際、わたしが見た和田維四郎の『本邦金石略誌』(M11)では、”硫(輝)アンチモニー鉱を「錫りん脂(しゃくりんし)」と呼んでいたもののことか。李時珍『本草綱目』(1596)には「錫りん脂」を「銀鉱」(のちに「角銀鉱」と判明)としていた”とありました。また、同じ和田の『日本鉱物誌』(M37)には、Stibniteが「輝安鉱」ではなく「輝てい(かねへんにおとうと、金弟)鉱」という見出しになっていて、”木内重暁の『雲根志』(1773)では「錫りん脂」と称している”とありました。
方鉛鉱と角銀鉱とではまたちがうのではないか、と磯部氏の説明に疑問を感じますが、ともかく、輝安鉱と方鉛鉱、もしくは角銀鉱とを作者がまちがえて、「この島の海岸の方鉛鉱鉱山」と書くべきところを「この島の海岸のアンチモニー鉱山」とした、ということは考えられますでしょうか?
大島真弦様
地質調査所 松浦浩久
鉱床の専門家ではないので鉱山ニュースに投稿しようかどうかかなり迷ったのですが、だんだんこの話題について下火になってきたような気がしましたので、投稿いたしました。私の想像は間違っているかもしれません。投稿前に専門家に訊ねるべきだったのですが、実は私も誰に聞くべきかよく知らないのです。
地質に関する文献の検索は国内文献につきましては、日本の金属鉱山のリンクにもありますが、当所のホームページ(http://www.gsj.go.jp/HomePageJP.html)の文献検索サービスの日本地質文献検索をご利用いただけます(無料)。また出版済みの地質図もおなじホームペー
ジで調べることができます。
次に一目で鉱夫だとなぜわかるのかということですが、これは本人を私は見ているわけでないので想像ですが、たぶん道具によるのではなくて髪や衣服に鉱石の粉塵がついているのだろうと思います。アンチモンの鉱石鉱物である輝安鉱は銀色に輝き、小片でもよく目立ちます。血のついた服を着ていたら人殺しと思うのと同じではないでしょうか。
詳しい情報は、http://www.gsj.go.jp/HomePageJP.html ご覧ください。
松浦様、資料を送っていただき、どうもありがとうございました。松浦様のご指摘を受けて、今、思案中です。またご質問させていただくと思いますが、よろしくお願いいたします。
ところで、ふと気づいたのですが、採る鉱石によってそこで働く人の格好が決まっているのでしょうか?たとえば、石炭を掘る人には、その場所が北海道だろうと九州だろうと、共通する道具というか装備というかそういうものがあって、それを見れば、「あー、この人は石炭を掘る人だ」とすぐわかる、というような特徴がありますでしょうか?
アンチモンを採るには、ほかの鉱石を採る場合とちがって、何か特徴ある道具や装備が要りますか?それを持っていれば、あるいはその格好をしていれば、一目で「この人はアンチモンを採る人だ」とわかるような、何か特徴あるものはありますでしょうか?
地質調査所の松浦ともうします。私も鉱床の専門家ではございませんので、どなたかが明快にご返答なさるものと期待して本ページを拝見ておりました。高山様から当所の地質図を調べてみたらとご提案がありましたので、職員として責任を感じ浅学非才を省みず調べてみました。
私が調べた限りでは対馬にアンチモンを主対象として稼行した鉱山が存在したかどうかは分かりませんでした。当所の地質図にも長崎県鉱物誌にも対馬のアンチモン鉱物についての記述はありません。でも当所の出版物に記述がないということを以て、小説に登場した鉱山が無いと言うことはできません。鉱石鉱物の出現のしかたは、会社が成立できるほどの規模になる場合から、鉱物採集趣味の人が1個標本をとれる程度のものまで様々であって、中間には小規模な鉱脈を農家が農閑期に手堀する程度の鉱山もたくさんあります。こういう場合は鉱区申請などありませんから記録されません。もっとも本件では鉱夫を雇うくらいの会社組織ではあったようですが、大量にアンチモン鉱物が存在する場合にはアンチモン鉱山として記録されるでしょうけれども、鉛・亜鉛の鉱区内にアンチモンの小規模な鉱脈があった場合には記録されないかもしれません。また陸海軍の鉱山は商工省の管轄外です。
で、大島様の補足「誰れの目にもこの島の海岸のアンチモニー鉱山の工夫(鉱夫?)だといふことは一と目で察せられた。」とあるのです。作者がここまではっきりと「アンチモニー鉱山」と断言するからには、安易に「作者の創作だろう」と片付けるわけにもいかず、頭をかかえてしまうばかりです(他に出てくる「朝鮮の山が見える」とか、「壱岐の勝本」とか対馬の村名・「佐須奈」等が架空でないこともあって)。」 を見ると、どうやら対州鉱山のある下県(しもあがた)郡ではなくて、上県郡上県町佐須奈付近の話のように思われます。この少し南には「しげくま鉱床だとか二本木鉱床があります。また佐須奈西方海岸には井口浜鉱床があったようです。この周辺の鉱床は鉛・亜鉛を主な鉱石鉱物とする点では下県地区の対州鉱山付近と同じなのですが、そのほかに四面銅鉱(Tetrahedrite;(Cu Fe)12(SbS3)4S0-1),車骨鉱(Bournonite;PbCuSbS3),硫安ニッケル鉱(NiSbS)など主成分にアンチモンを含む鉱石鉱物を伴う点が注目されます。つまり、上県地域は下県地域の対州鉱山周辺に比べると比較的アンチモンに富むといえます。
ここからは非専門家である私の個人的な想像ですが、だから上県地域のどこかに輝安鉱(Stibnite)・ベルチェ鉱(Berthierite)、または毛鉱(Jamesonite)に富む鉱脈があったとしてもおかしくないのではないかと思うのです(間違っていたらごめんなさい)。対州鉱山にはないアンチモンを含む鉱物が上県地域に出現すると言うことは、記録には残らない小規模な輝安鉱の鉱脈が佐須奈を含む対馬北部の海岸に昔あったのかもしれません。
大島様には文献からコピーして簡単な資料をお届けします。
地図とパンフレットを入手しました。
下記ページをご覧ください。
詳しい情報は、http://www.ne.jp/asahi/mining/japan/aaa/quick.html ご覧ください。
偶然にも愛媛の博物館の話題とアンチモンの話題の両方が出ていますので、少し紹介
したいと思います。
今、特別展が開かれているのは愛媛県総合科学博物館なのですが、ここの常設展示に
は残念ながらあまり鉱山展示は多くありません。もし、鉱石の方にご興味がある方でし
たら、松山市の方に以前からある県立博物館も面白いのではないかと思います。
愛媛県立博物館は2階に分かれているのですが、一番はじめの入り口を入ると、正面
に輝安鉱の展示があります。かの有名なアーチ状につながったものとまではいきません
が、長さ15cmほどのナイフ状の結晶の集合体(3体。原石が1体)と市ノ川鉱山の株
券(^-^;)が展示されています。
この他にも、金属鉱物や非金属岩石類の展示(上の階に体系別に)もありますので、
松山方面に行かれた際はお寄りになってはいかがでしょうか?
(なお、以上の状況は先月(H11.2)行った時の状況です。)
ちなみに愛媛県立博物館の場所は、城山の南のNHKや県立美術館がある一角で、
県立図書館と同じ建物に入っています。
愛媛の鉱山特別展の詳細がわかりましたのでお知らせします。
◆鉱山関係者による説明
鉱山関係者に展示室に居ていただいて来館者の質問に答えたり、来館者に展示物の説明を行います。
説明をして下さる方
・井上省二氏(前別子銅山記念館館長、鉱山操業時は事務方だったそうです。)
・常磐野泰一氏(別子鉱山閉山時の端出場(現在のマイントピア別子のあるところ)採鉱課長)
解説員の居る日時は開催期間中の土日祝日のです。
どの時間に行けばどちらの人が居るかという細かい日程までは決まっていませんが、午後1時を交代の時間として午前中と午後を別の方に
来ていただけるようにしています。
◆講演会
演題 「近代日本の産銅業発展史」
講師 武田晴人(東京大学経済学部教授)
日時 平成11年3月7日(日)14時〜15時30分
会場 愛媛県総合科学博物館 第1研修室
定員 100名(先着順 入場無料)
申し込みは往復ハガキかFaxに、講師名・住所・氏名・電話番号をご記入の上、下記までお送り下さい。
1枚につき3名まで申し込みできます。
〒792-0060
愛媛県新居浜市大生院2133-2 愛媛県総合科学博物館 企画普及係
TEL 0897-40-4105 FAX 0897-40-4101
お問い合わせは、愛媛県総合科学博物館までどうぞ。
0897-40-4106(学芸課直通)
「鉱山ニュース」は当初から、新聞やプレスリリースに載るような記事を出すことが目的ではありません。
もちろん、重要な事柄(閉山、新鉱脈の発見など)は掲載するつもりですが。
むしろ、ローカルな鉱山情報、地元に伝わる鉱山伝承や民話などを地道に集める場所として期待しています。
現在活発に使われている状況は、管理者としても望ましいことです。
読者の皆様には、「鉱山ニュース」というタイトルから、投稿しにくい印象をもたれた方も居られると思いますが、
ぜひ幅広い話題で投稿していただくようお願いします。
なお、ガイドラインとして、下記のような内容の投稿はご遠慮頂くようお願いします。
(1)政治、宗教に関するプロパガンダ・批判・勧誘・布教活動
(2)無意味な文字や表現の繰り返し。
(3)単なるあいさつ、自己顕示のみ。(例:はーい、私はXXです。よろしくう!)
(4)企業、商品などのあからさまな宣伝、逆宣伝。(但し、客観的な立場での紹介程度ならば構わない。)
(5)他人の発言に対する失礼な発言。
(誤りや不適切な内容を指摘するのは構わないが、記事内容を理解していないような応答や馬鹿にしたような記事は不可。)
管理者から、投稿に対して応答(いわゆる「レス」)は行ないませんが、記事は常にチェックしています。
不適当と思われる記事は無断で削除します。
なお、以下のような投稿も歓迎です。
*鉱山の所在や歴史に対する疑問。(どなたか・・知りませんか?)
*映画やドラマに出てきた鉱山や鉱物の話題。
#「鉱山ニュース」でなくて、ほとんど掲示板として使っていますが(^^;)よろしいでしょうか? >管理人 様
大島 様
リプライが遅くなって申し訳ありません。既に他の皆様からのコメントがありますので、次の点のみ回答します。
>>(4)について、もう少し詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?たとえば、対馬でアンチモンが採れたけれども、アンチモンを含む亜鉛の鉱石が大阪か愛媛か高知へ持っていって製錬した
>>ため、アンチモンは対馬ではなく製錬した場所で採れたことになった、そういう可能性も考えられる、というふうに理解してもいいでしょうか?つまり、遠州灘でとれたフグでも下関に持っ
>>ていって売れば、”下関産のフグ”になるように、本来は対馬で採れたアンチモンの鉱石でも愛媛で製錬すれば、愛媛で産出したことになる。そういうことはありえたのでしょうか?
現在の統計では鉱石と金属の生産統計は分かれていますので、そのような事はないと思います。
当時の統計の記載方法の詳細は不明ですが、鉱石の生産と金属生産は別だと思います。
(時代によって、その鉱種の統計を取っていないとどうしようもないです。)
前回申し上げましたのは、A製錬所に持ち込まれても、残渣としてB製錬所に運ばれて地金になった場合、その地金はB製錬所産として統計に乗るので、どこの製錬所産だからと
言っても、その製錬所に直接持ち込まれた鉱石か分からないということなんです。
今回のアンチモンに限らず、金属の出元はある意味でアバウトです。金の例で言えば、金鉱石(シリカ)として銅製錬所に運ばれた場合、海外からの銅鉱石と一緒になりますので、
最終的な地金はどこ産かと聞かれると困ってしまうと思います。統計として必要なら、各々の精鉱の品位(定期的分析や平均品位)から計算して案分するしかないわけです。
高山様 お忙しいところ、わざわざ調べて下さいましてどうもありがとうございました。
『長崎県鉱物誌』は、さっそく探して見てみます。
また、アンチモンのでき方等についておうかがいすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
仕事場で、「日本鉱床総覧」という本を見てみましたが、対州鉱山のところにはアンチモン
の鉱物の記述はありませんでした。鉄閃亜鉛鉱に、アンチモンが多く含まれるという表はあり
ました。対州鉱山に出る鉱物は、アンチモンの鉱物より高温でできたと思われるものが多いで
す。
このため、もし、鉱脈を形成するもととなった貫入岩から離れたところに、大島様が指摘し
ている金銀鉱山があれば、アンチモンの鉱物が出てもおかしくないです。
たしか、「長崎県鉱物誌」のような本があったと思います。残念ながら、私は所有しており
ません。この本には、かなり詳しく記述されている可能性があります。また、地質調査所より
地質図が発行されていれば、試掘程度の鉱山でも記述されています。
高山様、ご意見ありがとうございました。対馬には佐須川流域の対州鉱山だけでなく、明治以前に金や銀を採ったところが各地に点在しています(神社になったりしている)。そういうところでアンチモニーが採れたのでしょうか。
高山様の新情報が楽しみです。
大島様、持元様、面白く書き込みを拝見しました。私も、鉱山のことは専門ではないのですが、
趣味であちこちの鉱山に行ったりしていました。
アンチモンは、銀と一緒に出る場合がよくあり、銀の鉱石となる濃紅銀鉱などもアンチモンを主
成分として含んでおります。九州の馬上鉱山とか、鹿児島市の西にある鉱山では、金・銀の鉱山
でしたが、輝安鉱などのアンチモンの鉱物もとれます。
銀やアンチモンは、鉛や亜鉛より浅いところで形成される場合が多いです。このため、対州鉱山
の近くの地表部に輝安鉱を含む鉱脈があっても不思議はないと思います。また、小さい鉱山の資
料は、ほとんど残っていない場合が多いです。ですから、普通の資料を見ただけでは、そのアン
チモンの鉱山のことは記述されてないのだと思います。
輝安鉱は、独特の色、結晶の形、蝋燭の火でも熔ける性質など、当時の山師の人でもちゃんと区
別できたのではと思います。だから、事実に基づいているのでは、と思うのですが。
現在、自宅で詳しい資料は仕事場にあるので、明日にでも見てみます。
持元様
ご指摘ありがとうございます。なるほど、石見銀山のほうが海岸に近く、理にかなっています。じつはわたしは、中国地方の銀山というと生野しか思い浮かばなかったのです。おうかがいしてよかった。本当にありがとうございました。
「島の秋」という小説には、作中人物が対馬に渡る前に「山陰の雪深い海岸にゐた」と書いてあるだけです。念のため、引用しておきます。
・・・そのころ姐さんは親方と一緒に山陰の雪深い海岸にゐた。親方はそのころから夏から秋 にかけては海に出て潜水機械をつかつては鮑を取つた。・・・
・・・冬の海が荒れて仕事ができなくなると親方は鏨(たがね)や鶴嘴を担いで雪深い銀山の 仕事に出かけた。親方の家には何時も五人や六人の男たちが親方を頼つて厄介になつてゐた。 男たちも親方について銀山に行つた。清さんだけはまだ姐さんと一緒に海岸の家にのこつてゐ た。・・・
「海岸の家」は江津あたりで、親方たちは冬以外は鮑取りの猟師として生計を立て、漁ができなくなる冬場は、石見銀山にこもった、と推定できます。そののち、対馬にわたったという設定だと考えていいと思います。江津からなら日本海〜玄海〜対馬というルートも納得がいきます。
この春、四国・別子銅山のお膝元、愛媛県新居浜市にある「愛媛県総合科学博物館」にて、愛媛の鉱山と題した特別展が開催されます。以下、開催案内の抜粋です。
平成11年春の特別展「愛媛の鉱山」
1テーマ
「愛媛の鉱山」
2開催期間
平成11年3月6日(土)〜平成11年4月11日(日)(32日間)
3開催場所
愛媛県総合科学博物館企画展示室(愛媛県新居浜市・大生院2133-2)
4展示趣旨
愛媛県には古くから世界有数の産銅量を誇った別子銅山や輝安鉱を産出した市之川鉱山、また現在も採掘しているドロマイト鉱山がある。これらの鉱山から産出された鉱石、採掘や輸送に使われた道具や絵図などの展示を通して、本県の地質、鉱山の歴史及び産業との関わりについて学ぶ。
5展示内容
コーナー 内容 主な展示物
1 銅鉱山 銅鉱床の解説、佐々連鉱山(伊予三島市)の坑内作業車、新宮鉱山(新宮村)の採掘道具、別子銅山の絵図や写真及びこれらの鉱山の現在の写真、銅を原料とした製品などを展示する。
・人車 ・抗木台車 ・三角抗車
・ガスランプ ・トランシット
・別子山内図
・伊予別子鉱山坑内栽面図
・調査書「宝の山」 ・銅鉱石
2 アンチモン鉱山 アンチモン鉱床の解説、市之川鉱山(西条市)の採掘道具、輝安鉱、アンチモンを原料とした製品などを展示する。
・螺灯 ・鉄ランプ ・がんぎ
・輝安鉱
3 石灰・ドロマイト鉱山 石灰・ドロマイト鉱床の解説、明浜町の鉱山で石灰の生産に使用された道具、採掘状況及び石灰窯の写真、石灰石、また城川町及び野村町の鉱山で生産されたドロマイトを原料とした製品を展示する。 ・さるぎかい ・吊り板 ・削岩機
・爆薬およびダイナマイト模造品
・ドロマイト採掘状況のビデオ
4 その他の鉱山 館蔵の県内外の鉱石及び写真などを展示する. ・クロム鉄鉱 ・金鉱・菱マンガン鉱
6入場料
無料
※土、日曜等入場者の多い日には鉱山関係者を募り展示品の解説を行なう予定です。
「山陰の雪深い海岸」にいて夏は鮑(あわび)を取り、冬は「鏨(たがね)や鶴嘴を担いで雪深い銀山の仕事に出かけた」
という設定になっているのですが、この山陰の銀山は、兵庫県の生野だろうと推測している・・・
という部分ですが、小説の原文を読んでいないので確証はありませんが、生野銀山より石見銀山の可能性が高いのではないでしょうか?
石見銀山に近い海岸にある「温泉津(ゆのつ)温泉」へ泊ったときはあわびが豊富に食卓に並んだように記憶しています。
(この温泉は銀山景気のいいとき遊郭として知られたところのようです。)
また、生野銀山は瀬戸内海側との連携が強く、日本海側からは道のりが困難です。
小説ではなにか他にヒントになる部分があるのでしょうか?
mitinoue様、丁寧なご回答、どうもありがとうございました。大変、参考になりました。
(3)の「対州鉱山の鉱石の品位」というところで、1953年の分析値であるけれども、Sbの値がこれでは、Sb鉱山とは言いにくいか・・・、とのご指摘、大変、貴重なご意見です。
実は、わたしも対州鉱山について調べていくうちに、対馬には「アンチモニー鉱山」は存在しなかったのではないかという気が強くしていたのです。
農商務省が発表した統計にも、『対馬島誌』にも、対馬からアンチモンが採れたという記述はなかったのですが、さらに詳しい資料、昭和22年4月に東邦亜鉛株式会社対州鉱業所が出した「対州鉱山について」や、昭和25年5月に長崎県下縣(しもあがた)郡佐須(さす)村が出した「対州鉱山の歴史」でも、アンチモンという言葉は一度も出てきません。
が、これらの信頼性の高い資料にアンチモンが採れたという記述がないのにもかかわらず、小説にははっきりと「誰れの目にもこの島の海岸のアンチモニー鉱山の工夫だといふことは一と目で察せられた。」とあるのです。作者がここまではっきりと「アンチモニー鉱山」と断言するからには、安易に「作者の創作だろう」と片付けるわけにもいかず、頭をかかえてしまうばかりです(他に出てくる「朝鮮の山が見える」とか、「壱岐の勝本」とか対馬の村名・「佐須奈」等が架空でないこともあって)。
ましてや(3)でご指摘のように、「Sbの主体の部分は手選等であらかじめ除かれている可能性もあ」るとしたら、対馬に「アンチモー鉱山」はなかった、とは言いきれないでしょうし、やっぱり、「アンチモニー鉱山」はあったと考えて、その存在をつきとめることをあきらめてはいけない・・・と思うのです。
(4)について、もう少し詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?たとえば、対馬でアンチモンが採れたけれども、アンチモンを含む亜鉛の鉱石が大阪か愛媛か高知へ持っていって製錬したため、アンチモンは対馬ではなく製錬した場所で採れたことになった、そういう可能性も考えられる、というふうに理解してもいいでしょうか?つまり、遠州灘でとれたフグでも下関に持っていって売れば、”下関産のフグ”になるように、本来は対馬で採れたアンチモンの鉱石でも愛媛で製錬すれば、愛媛で産出したことになる。そういうことはありえたのでしょうか?
とすれば、鉱産表に対馬がアンチモンの産地として載らないのも理解できます。この可能性について、どう思われますか?申しおくれましたが、小説には、鉱石を他県へ運んだ等の記述はありません。
それから、もう一点、おうかがいしたいのですが、小説の作中人物は、対馬に来る前、「山陰の雪深い海岸」にいて夏は鮑(あわび)を取り、冬は「鏨(たがね)や鶴嘴を担いで雪深い銀山の仕事に出かけた」という設定になっているのですが、この山陰の銀山は、兵庫県の生野だろうと推測しているのですが、どうでしょうか?
大島 様へ
私はアンチモンの専門家でも対馬の専門家でもありませんが、いくつか気づきの点がありましたので、コメントさせていただきます。
(1)アンチモン鉱石
アンチモン鉱物はおっしゃるとおり「輝安鉱」(硫化物)が最も有名ですが、その他にも酸化物として「方安鉱」、「白安鉱」などがあります。
また、単体の”鉱物”として確認できなくても、鉛鉱石などに不純元素物として入ってくる場合が多いです。
(2)鉱山の鉱種
鉱業法上の登録鉱種は1鉱種に限らず、例えば「金鉱、銀鉱、銅鉱、鉛鉱、亜鉛鉱・・・」と複数種類が登録されている場合があります。しかし、一般にその鉱山の鉱種を指す場合いちいち全部の鉱種を言うわけもなく、代表的なもののみで表す場合が多いです。
その場合の代表的な鉱種は、生産量が最も多いものを言ったり、歴史的に有名な鉱種を言ったり、また希少鉱物で言ったりもします。
(3)対州鉱山の鉱石の品位
実は今回コメントする気になりましたのは、たまたま対州鉱山の鉱石の分析値を目にしたからです。
1953年の分析値ではありますが、それによると、Pb3.78%、Zn9.83%、Ag112.0g/tであるのに対し、Sb0.03%となっています。
このSbの値では、Sb鉱山とは言いにくいかと思います。
(注:分析の年代が小説の年代とは異なりますので、ひょっとしたら異なるかもしれません。また、この分析値は「浮石原鉱」となっていますので、ひょっとしたらSb主体の部分は手選等であらかじめ除かれている可能性もあります。(一般にペナルティ成分ですし(^-^;)))
(4)アンチモン鉱石の運搬先
明治〜大正時代におけるアンチモン製錬は、金属の生産量統計によれば大阪府、愛媛県及び高知県のみです。もし小説中に鉱石をこれら府県へ運搬していたという記述があれば理屈はあうことになります。
(ただ、これも欠点があって、初めに別の県の製錬所で他の金属成分を取った後、残渣が上記府県に運ばれていたら確かめようがありません。)
以上、直接的な回答ではないのですが、参考になれば幸いです。
1999年2月7日に投稿した大島です。メール・アドレスを書き忘れたので追加します。
mazuru@ba2.so-net.ne.jp
情報、お待ちしております。
鉱山&鉱物のご専門家であるみなさまに、教えていただきたいことがあり、投稿させていただきます。少し長くなりますが、よろしくお願いします。
大正6(1917)年10月に発表された小説「島の秋」(吉田絃二郎『早稲田文学』)は、長崎県・対馬が舞台なのですが、作中人物の説明として「この島の海岸のアンチモニー鉱山の工夫」とあります。わたしは、この作中人物が歩いたコースを確定したいと思い、対馬のアンチモニー鉱山について調べているのですが、どうしてもわかりません。
そのまえに、わたしは鉱物に関してはまったくのしろうとなので、アンチモン(アンチモニー、安質莫尼)についての理解が足りないかと思います。はじめに、今まで調べてなんとか理解している程度を申しておきます。間違っていたら、ご指摘願います。
@アンチモン(Sb)は、硫黄と化合し輝安鉱という鉱石鉱物となる。→逆に言うと、アンチモンは、輝安鉱から採れる、と理解していいのでしょうか?
A輝安鉱で有名なのは、愛媛県市ノ川鉱山で、そこで採れた輝安鉱は世界的にも有名。
明治22年の『鉱山全書』(日本鉱山実業学会)では、アンチモンの産出高順に言うと、愛媛、栃木、耕地、宮崎、山形、山口、奈良となっていて、他の鉱産表(『農商務省』『福岡鉱山監督署』)を見ても、長崎(対馬)でアンチモンを産出したという統計はない。
B明治〜昭和戦前ごろのアンチモンの用途としては、「茶托」(夏目漱石『我輩は猫である』<明治38-9>に「アンチモニーの茶托」とある)、「伊予白目」とも言う、「活字地金」(中野重治『空想家とシナリオ』<昭和14>に、鉛やアンチモンや錫の合金が活字地金である、と記述されている)。
対馬の鉱山については、『対馬島誌』に、対馬は日本における銀、金の発祥地であるのみならず(7世紀後半〜)、方鉛鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、硫黄鉄鉱等が採れた、とあります。が、アンチモンの鉱石である輝安鉱については、記述がありません。どなたか、明治後期〜大正期に、対馬で輝安鉱が産出したかどうか、ご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?
あるいは、方鉛鉱や黄鉄鉱、閃亜鉛鉱等からアンチモンを取り出すことは、明治〜大正期にできたのでしょうか?もしそれが可能だったなら、方鉛鉱等のあった佐須川流域の鉱山(いわゆる対州鉱山)のことを、「アンチモニー鉱山」と呼んでいたとみなしてもいいでしょうか?
ただ、東邦亜鉛の社史『荒野を拓く』によると、昭和16年当時、亜鉛鉱滓から金、銀、銅、鉛、カドミウム、イリジウム等の有価物を取り出す技術がまだなく、戦後の昭和26年になって鉱石中の有価物(金、銀、銅、鉛、亜鉛、錫、ビスマス、アンチモン、砒素等)をほぼ100%回収できるようになった、とあります。つまり、方鉛鉱等からアンチモンを取り出せるようになったのは戦後のことで、明治〜大正期には、そういう技術はまだなかった、ということになります。
明治〜大正期、方鉛鉱等からアンチモンを取り出すことはできなかったのであれば、方鉛鉱等のあった対州鉱山のことを、「アンチモニー鉱山」と呼ぶことはありえなかったはずです。
いったい、対馬の「アンチモニー鉱山」とは、どこにあったのでしょうか?調べれば調べるほど、わからなくなってきました。
どうか、だれか、おしえてくださ〜い!